おねえちゃんのブログ

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30年ぶりに再会・・・できなかったお話

 元旦から娘と二人で日本に行っていた。と言っても、元旦にLAを出て成田に着いたら2日の夜。元旦2日はなかったようなものであるが。
 そもそも、もしかしたら父が年を越せるかもしれない、最期の正月を孫と過ごさせてやろうかと、9月半ばに予約した航空券。それから程なく父は亡くなってしまったものの、格安航空券をキャンセルすると何百ドルも手数料を取られて損するだけなので、予定通り二人で訪日。お墓参り、相続関係の用件、あとは適当にお遊び…といった感じで10日間ほど、日本で過ごした。
 もともと寒いのは嫌いな私。真冬の日本に行くということで、それなりに覚悟はしていたのだが、マジ寒かった上に東京は18日間雨無記録とかなんとかで超乾燥。おまけに9日は、体感温度が奥日光湯元(正月に家族もいないのに東京にいても仕方ないので、まずは日光にスキーに行った)より寒いじゃん!という超強風。
 極め付けは、最後に3泊したホテル。去年春休みに娘と二人で泊まり、部屋はロフト付きで広いし最上階に大浴場もあるので気に入って、リピしたのが大失敗! ロフト付きで天井が高いから、エアコンでいくら暖房しても暖気がどんどん上に逃げてしまい、部屋が全く暖まらない! 確かにロフトに上がれば暖かいが、ずっとロフトにいるわけにも、もちろんいかず。部屋の空気をかき混ぜようと背伸びしながら書類でぱたぱたとその辺を扇いでみるも、焼け石に水(って、正反対な例えだが…)。せっかく大浴場で暖まっても、部屋に戻れば程なく足先からかじかんできて、とにかくひたすら寒い。マジ、ホテルの選択、大失敗!
 結果、私も娘も見事に風邪をひいた。それも、喉が飲食に支障が出るほど腫れて痛くて、高熱も出る、超強烈なヤツ・・・。昼間は鼻水ノンストップ、夜は咳ノンストップ・・・。
 そんなボロボロ状態で迎えた帰国の日。なんとか飛行機に乗り込み、あとは寝ていればLAに帰れる・・・のだが、とにかく娘の具合が非常に悪い。この日が風邪の峠に当たってしまったらしく、鎮痛解熱剤と風邪薬を数時間おきに飲ませても一向に熱が下がらない。朝からほとんど何も食べていないし、私にぐったりと寄りかかってほとんどずっと寝ている。私も私で、前日に峠を越えて熱は下がったものの、マスクの下で鼻水垂らして喉はまだバリバリ痛いし声もロクに出ない。

 ところで、この時我々が乗っていたのはJALの飛行機である。そして、私にはJALパイロットを(おそらく今も)している先輩がいる。大学の理工学部の研究室を出てから、「やはりパイロットになりたい」とJALに入った、変わり種の先輩である。在学期間がだぶっているわけではないが、先輩がしょっちゅう遊びに来たり皆で飲みに行ったりする和気藹々の研究室だったので面識があった。そして、卒業旅行でアメリカ西海岸に行った私(&同じ研究室の同期)は、当時、サンフランシスコ郊外のJALの施設で訓練中だったこの先輩のところに遊びにまで行った。我々は無料で空いているJALの寮の部屋に泊めてもらい(おそらくJAL規約違反だっただろうが、絶対にもう時効なので・・・)、代わりに我々のレンタカーで近郊への観光にお連れしりした(JALの訓練生は車を運転できない規則で、先輩達は自転車のみで生活していた。そのためか、近隣住民に「怪しい中国人の集団がいる」と噂されている、などと冗談半分に言っていた ← 今時、中国人だって車ぐらい乗るんだけど、なにせ30年前のお話なので・・・)。
 そんな縁がありながらも、かつての私はJALの飛行機に乗ることはまずなかった。何より「親方日の丸」が大嫌いだし、当時のJALは評判も悪かった。航空券代にしても、昔は日本の航空会社は高かった。アメリカに住むようになってからも、日米の往復にはもっぱらアジア系、アジア系が日米路線からほぼ撤退してしまった近年では米系航空会社を使っていた。
 ところが2017年5月に母が急逝し、とにかく一刻も早く日本に行かねばという時、たまたま取れた航空券がJALだった。乗ってみたら以前の印象と全然違い、総合評価でなかなか良かった。値段も米系と変わらない。以来、アメリカと日本を9往復、ほとんどアメリカン・JAL連合(ワンワールド・アライアンス)を利用している。
 そうなって、俄然、思い出すのが前述のJALパイロットになった先輩、K森さんである。卒業旅行の時にカリフォルニアで会って以来、おそらく一度も会っていないが、無事にパイロットになったという話は研究室の他のメンバーから聞いていた。偶然、研究室の先輩が操縦する飛行機に乗り合わせたら面白いなあ、と、いつも離陸直後のスタッフ紹介や機長アナウンスに耳を澄ましてみるのだが、当然そんな偶然はそうそう訪れない。
 昨年11月に日本に行った際、研究室の仲間と飲んだ時にもK森さんの話題が出て、「当たり前だけど、なかなか乗り合わせないもんだねぇ」などと話していた。

 さて話は1月12日、ボロクソ状態でLAに戻る飛行機に乗った日に戻る。ようやく座席に収まり、一安心しながら機内アナウンスを聞くともなしに聞いていたら、ナント!!! 「・・・本日の機長はK森・・・」と言うではないか!!!
「えええ~~~??? まじぃ~~~??? ってか、なんでこのタイミング?!」
 偶然、先輩が操縦する飛行機に乗り合わせて30年ぶりの再会になるかもしれないのに、どうしてよりによって親子共々こんなクソボロ状態の時に!!!
 飛行機が安定飛行に入ってから、機長本人によるアナウンスがあったが、それを聞いてさらに確信した。99%、あのK森さんである。そもそもK森という名字からして、超珍しいわけではないが、よくある名字という訳でもない。JALパイロットが何人いるのか、こうして偶然巡り会う確率がどのぐらいなものなのか、知るよしもないが、とにかくすごい巡り合わせのまっただ中にいる・・・!
 それで何度も、客室乗務員に聞いてみようと思いはした。しかし、通路側の席に座った娘がぐったりと私によりかかって高熱でくたばっているので自分は席を立つことすら難しい。仮にがんばって客室乗務員を呼び止めたところで、マスクの中は鼻水ダラダラ、目はうつろ、至近距離でもなかなか聞き取れないような声しか出ない、そんな状態でもし機長が、K森さんが客室まで面会に来てくれたとして、30年ぶり&おそらくその後の人生ではもう会うことがないであろう相手にそんなクソボロな姿をさらしてどうしようというのか・・・? ああ、運命は実に皮肉である・・・残念無念!
 降機の際にも、よほど前方の出口を回って機長が立ってお見送りしていないか確認しようかとも思ったのだが、結局止めた。実のところ、この日のフライトは最初から最後まで乱気流に遭遇しまくりで非常に揺れた。体調が悪いところでぐちゃぐちゃに揺られ、娘はアメリカの入国手続きの列に並んでいる途中で吐いた(そんなこともあろうかと、袋をすぐ出せるように用意してあったので、実害はなかったが)。万が一、前方出口でK森さんを発見して「本当にお久しぶりです!」「すごい偶然ですね!」なんて話していたら、その懐かしい再会の最中に娘は吐いていたことだろう・・・。

 いや、別にね、もしK森さんと感動の再会をしたとして、その後も継続して連絡を取り合いたいとか、そういうことは特に思っていない。今後、JALに割引価格で乗せてもらおうとか、いい席を優先的に回してもらおうとか、そんなことも微塵も考えていない。ただただその時、「すごい偶然ですね!!!」と感動したかっただけである。そして研究室の仲間と会う機会があったら、「この間、K森さんの飛行機に乗り合わせてさあ~」と、自慢(?)したかっただけである・・・。
 まあ良かったじゃん、これでK森さんの記憶の中の私は、永遠に若くて可愛かった頃のままだよ! わざわざ自ら、中年おばさんの(それも風邪でズタボロの)記憶に置き換えなくてもいい話だよ。しかも、ゲロ吐いてる娘付き・・・。
 ・・・とは思いながら、それにしても、悔しいぃぃぃ~~~!!!!! こんな感動の再会、一生に1回あるかないかの機会だったのに!!! 乗った飛行機の機長が知り合いでしかも30年ぶりの感動の再会というものを、是非ともしてみたかったのにぃぃぃ~~~!!!