
(本文とは関係ありません)
Kさんは、私が96年夏から2000年春までニューヨークで働いていた出版社の同僚だった。私より少し年上で、私と同じ理系の女性。二人とも技術系を担当する同じ「島」にデスクがあった。
しばらくしてKさんは、転職のためコロラド州に引っ越して行ったが、コロラド在住の私の友人を紹介したり、付き合いは続いた。その後、Kさんが再び転職でケンタッキー州に引っ越してからも、時々連絡を取り合っていた。
Kさんがケンタッキーからニューヨークに戻って来た後もボチボチとやり取りが続き、Kさんがイベント参加のためにロサンゼルスに来た際に会ったりもした。
Kさんは、私のブログをいつも読んでくれてもいた。コロナ禍の時は毎日のようにメールで愚痴を言い合ったり、Kさんの(日本にいる)お父様がらみで、私の父がお世話になった司法書士を紹介したこともあった。
去年の12月、いつものように年末のご挨拶メールを送ったら、返信に多発性骨髄腫になったことが書かれていた。治療とリハビリ合わせて約2ヶ月の入院を経て、自宅に戻ったばかりだと書かれていた。
闘病ブログのアドレスが書かれていたので、じっくりと何度か読んだり、多発性骨髄腫について自分なりに調べたりもした。闘病ブログに、背骨が潰れて身長が縮んだ上、さらに背骨が湾曲してしまったことが書かれていて、かなりショックを受けた。本人も、しばらくぶりに鏡を見てショックを受けたと書かれていた。
ただこの時は、ブログに「治るって言っても、この姿か?」というような書き込みがあったので、病状は一段落したものと思っていた。でも背骨が潰れて曲がったKさんがどんな姿になってしまったのか怖くて、普通に何事もなかったような顔をして会える自信がなくて、お見舞いメールだけで済ませてしまった。無理してでも会っておけば良かった。6月に子どもをニューヨークまで送って行った際に、私だけLAに戻る飛行機を遅らせて少しでも時間を作ればギリギリで会えたかもしれなかったのに・・・。
数日前、いつものように年末のご挨拶メールを送ったけれど2日経っても返信がなかった。今までこんなことはなかったので胸騒ぎがして、Kさんの名前を検索した。漢字で検索しても昔の記事や写真が出るだけだったが、ローマ字で検索したら葬儀社のメモリアルページが一番上に出てきた。
7月6日逝去、享年63歳とあった(もちろん英語でね)。それでもまだ半信半疑だったが、ページ下部にメッセージが書き込めるようになっており、そこに元同僚の書き込みを見つけ、亡くなったのがKさん本人であると確信した。
闘病ブログから重病なのは分かっていたけれど、まさか発病してから一年も経たずに亡くなってしまうなんて・・・。しかも、去年の秋に救急搬送されるまで自覚症状はなく、直前まで普通に仕事もしていたという。倒れたのは、遊びに行った日本から帰ってきた直後のことだったそうだ。
ブログによると多発性骨髄腫は黒人男性に多く、日本人女性がかかるのは非常に珍しいそうだ。さらに「普通の患者が10年で通過するような症状と治療を半年くらいで経験した」という、希で厳しい状態だと医者に言われたと書いてあった。
原因はもちろん不明。青信号に従って横断歩道を渡っていたのに暴走車にはね飛ばされる交通事故に遭ったようなもので、「なんで私が???」としか言いようがなかったと思う。
63歳、若過ぎるとまでは言えないかもしれないが、まだまだやりたいことはたくさんあっただろう。最後のブログは6月6日、カフェで食事中に胸の腫瘍から出血と書かれていた。5月のブログには、医者に「もうキモセラピーは受けない」と宣言したと書かれていたので、覚悟はしていたのかもしれない。
それにしても、受けた衝撃があまりに大きくて、訃報を知ってからずっとKさんのことばかり考えている。
いろいろと共通点が多かったKさんと私。Kさんが亡くなったことはもちろん大ショックだし、いつ自分の身に同じ事が起こってもおかしくないと思うと本当に怖い。長生きすればいいというもんじゃないし、頭が正常に働かなくなったら生きていたくはないが、とりあえずまだしばらくは死にたくない。最低でも子どもが就職するまでは見届けたい。
そして、自分が亡くなった時、友人はどうやってそれを知るのだろう?と考えた時、葬儀社のメモリアルページはいいサービスだな、と感心した。誰かが私の名前を検索したら亡くなったと分かるって、有り難い。
いや、自分が最後の一人になれば、そんな心配も無用になるか。みんな先に亡くなっちゃって、連絡がないことを不審に思って検索してくれる仲間はもう誰もいない。106歳目前で亡くなった祖母が、そんな感じだった。自分よりはるかに若い友人がどんどん先に亡くなって、寂しかっただろうな。
歳を取るって、周りからどんどん人が消えていくことなんだね・・・。